目を逸らさない強さ
無事に週末を乗り切った。
心穏やかに見送れるよう、あえてブログから離れてみたけど…その間に日記を使ってたら、意味ないよね。
気持ちの捌け口の日記と
心の整理のブログ
両方の使い分けで、なんとかバランスを取ってるメンタル。
ちょっと前までは推し活と音楽が心の支えで、溜まったストレスを全部ブログにブチまけてメンタルを保ってた。
でも、今はまだ趣味に対して興味が戻らない。
だから、余計に執着するんだろうね。
昨日お出かけして、何事もなく帰ってきたのを見て…
なぜ前回は信用できずに悪質な暴走をしたのに…今回は平気なんだろう?どうして証明できるモノが無いのに、信用してる…なんて言えるんだろう?って不思議だった。
スマホを見てないから?
疑う要素が無いから?
でも普通は、逆に信用できずに警戒するトコじゃないのかな?…って。
【不安にならない事】が【不安】だった。
でも、今日になって、昨日の出来事を楽しそうに話す様子を見てて気が付いた。
あの時の自分の絶望は
【自分が知らない事を知ってしまった事】だった。
知らないまま居られれば、それまでと変わらない日常が続くだけだったのに、知った事で【疎外感】を感じて、冷静じゃいられなくなった。
だけど今回は、事前に行動や行き先を聞いていた。
だから平気だった。
…いや…平気でいようと、無駄な思考を放棄して、ブログから離れた。
お陰で余計な事は考えずに過ごせた。
でも、昨日のコトを楽しそうに話してるのを聞いていられなかった。
一切、耳が受け付けなかった。
趣味を楽しんだ相手と、
趣味を楽しめなくなった自分。
【共有してない】出来事に対して【共感してあげられる】心の余裕は、まだ無かったみたい。
本来なら、パートナーとして、ちゃんと話を聞いて、共感してあげなきゃいけないんだろうけど、今はまだ、疎外感の方が大きい。
考えたら、昔からそうだった。
泊まりだろうが、日帰りだろうが、一人で自由に出掛ける事に対して、特に不満はなかった。
それよりも、帰宅後に語られる【楽しかった話題】を聞いてる方が心がモヤモヤした。
お義父さんの通夜の時でもそう。
別に幼馴染に対して、同じ女性として、性的にヤキモチ妬いたワケじゃない。
知ってる者同士の集まりと、親しげな会話。
そして、その輪に入れず、話題すら共有できない自分。
嫌でも溝を感じたし、どうしよもない疎外感に耐えられなかっただけ。
でもまぁ、結局は【ヤキモチ】なんだけどね。
簡単に言うと【無い物ねだり】
悔しけりゃ、自分も自分の世界を作って楽しめば良いのに…それが出来ないから羨ましいだけ。
誘える人脈もないしね。
思い出を共有できる相手もいない。
【母親】という役割を背負った段階で、社会や人間関係と切り離されてしまったから、今更外の世界に興味はない。
それなのにヤキモチだけはしっかり妬いてて面倒くさい。
グチでも何でも、気軽に話せる身内でも居れば良かったのに、親や兄弟とも疎遠で…
自分の事を理解してくれる人間が居ないってのは…寂しいね。
でもこうして、少しづつ、自分の闇に気付いていけるのは良い事だ。